「銀河英雄伝説列伝1」を読みながら「星系出雲の兵站」に思いをはせる。
再び銀英伝ネタで書きます。ちょっと前になりますが、「銀河英雄伝説列伝1」を読みました。”「銀河英雄伝説」を愛してやまぬ作家たちが捧げる六編を収録する公式トリビュート短編集”です。
銀英伝というのは、いい具合に隙間があって、その隙間を埋めるように書かれた作品群は大変楽しかったです。特に小川一水「竜神滝の皇帝陛下」は原作10巻の「川に釣糸を垂れていらっしゃるときでも、陛下は、鱒ではなく宇宙を釣りあげようとしておいででした」という短い文章から、ラインハルトの優しさと皇帝としての立ち振る舞いを描いたのが見事でした。
銀英伝最強キャラの一角、オルタンス・キャゼルヌ
今回メインで取り上げたいのは石持浅海「士官学校生の恋」についてです。
銀英伝の中で最強のキャラクターはいったい誰なのか、というのはなかなか楽しい議論が成立しそうです。「常勝の天才」ラインハルトか、「不敗の名将」ヤンか、はたまたオーベルシュタインの犬か。僕は、ヤン個人にその問いかけをしたら「少なくとも僕じゃないね」と答えそうな気がするんですよ。戦争における補給の重要性を熟知しているヤンが、あくまで戦場の戦術家である自分を(実際はそれにとどまらないのですが)、推すとは思えないんですよね。
「最強を決めることに意味があるようには思えないけどね」と前置きしたうえで選びそうなのが「オルタンス・キャゼルヌ(以下:オルタンス)」ではないかと妄想しました。
念のため説明すると、オルタンス・キャゼルヌは同盟軍イゼルローン要塞事務鑑(3巻開始時点)アレックス・キャゼルヌの妻です。キャゼルヌは、デスクワークの達人で、”キャゼルヌがくしゃみをすればイゼルローンが風邪をひく”といわれた人物で、ヤン艦隊の屋台骨を支える人物です。そのキャゼルヌを、ヤンの評を借りれば
夫人は白い魔女で、亭主のほうは黒い魔道士だ。魔法合戦で負けて、それ以降、家来になったにちがいない(銀河英雄伝説外伝「ユリアンのイゼルローン日記」第三章)
といった具合に、家庭的に完全にコントロール下に置いていたのがオルタンスです。その家庭運営の手腕は
ヤン提督はぼく(注釈:ユリアン)のことを「家事と整理整頓の名人だ」と言ってくれる。提督のレベルから見たらそうかもしれないけれど、ぼくからキャゼルヌ夫人を見ると”白い魔女”に見える。指をひとつ鳴らしたら、家財道具がいそいそと所定の位置にとびこんでいくにちがいないという気がする。(銀河英雄伝説外伝「ユリアンのイゼルローン日記」第三章)
と描写されています。キャゼルヌが後方勤務本部長の椅子を蹴って、ヤンの元にはせ参じるにあたってのキャゼルヌ家のやりとりとか最高なんですよね。女傑っていう感じがします。
そのオルタンスに注目をしたのが、「士官学校生の恋」です。目の付け所がいいですよね。完全にファンの発想です。アンソロジーにふさわしい。まだ、読んでいない銀英伝ファンは本を買って読んでほしいですね。
この話を読んで、思ったのは「はたして今の価値観で銀英伝を田中芳樹が書いていたらオルタンスはどういう書かれ方をしたのか?」という疑問でした。
「星系出雲の兵站」の朽綱八重
ここで思い出したのが、「星系出雲の兵站」でした。「星系出雲の兵站」は2021年の日本SF大賞・星雲賞を受賞したSF小説です。
人類の播種船により植民された五星系文明。辺境の壱岐星系で人類外の産物らしき無人衛星が発見された。非常事態に出雲星系を根拠地とするコンソーシアム艦隊は、参謀本部の水神魁吾(みずかみかいご)、軍務局の火伏礼二(ひぶしれいじ)両大佐の壱岐派遣を決定、内政介入を企図する。壱岐政府筆頭執政官のタオ迫水(さこみず)はそれに対抗し、主権確保に奔走する。双方の政治的・軍事的思惑が入り乱れるなか、衛星の正体が判明する(「星系出雲の兵站 1 」あらすじ)
普段、それほどSFを読むわけではありませんが、銀英伝の作者である田中芳樹氏のマネージメント事務所代表である安達裕章氏の
「英雄の誕生とは 兵站の失敗に過ぎない」
— 安達裕章 (@adachi_hiro) August 17, 2018
ヤン・ウェンリーがぶんぶんと首を縦に振ってるのが見える。
会社帰りに買ってこよう。 https://t.co/faq1IqsV7p
というつぶやきを見て、興味を持って読み始めました。「星系出雲の兵站」は続編の遠征編を含めると全9巻で完結をしており、とても面白く読みました。
この小説に朽綱八重というキャラクターがいます。上記にある主要人物の一人、火伏礼二の妻が八重です。火伏は兵站監という補給の責任者を務めています。ちょうど、キャゼルヌに役割が似ています。もっとも「星系出雲の兵站」はまさに兵站をどのように整えるのかをメインに据えた小説なので、火伏はキャゼルヌと比べると華々しい活躍をします。
八重が初登場するのは2巻の序盤です。報道で公開されている情報から遠征している夫がいつ自宅に戻るか把握し、食事の準備を整えたうえで
「そうなんだ。ねぇ、ご飯食べたんだから、次はどうする?お風呂、私、それとも私とお風呂?」(「星系出雲の兵站 2」1章)
と言う、なかなかパンチのきいた登場をします。彼女は、経営コンサルタント会社を立ち上げており、その立場から物語の中核に関わっていくようになります。
主人公的な男性キャラクターの妻として登場している=家庭的なキャラクターと勝手に思い込んでいたので、ビジネスの第一線に関わってくるのに、意表を突かれたんですね。自分の中のジェンダーバイアスですね。
もし、2020年代に銀英伝が書かれていたら…?
話を銀英伝に戻します。 列伝を読みながら思ったのは「もし、今、銀英伝が書かれていたらオルタンス・キャゼルヌは八重のように共働きしていたのではないか」という妄想です。銀英伝が書かれた1980年代といえば、やっと男女雇用機会均等法が成立した時期です。出産にあたっては仕事を辞めるのが、当たり前の時代でした。だから、当然のように銀英伝の中ではオルタンスは専業主婦をしています。でも、それが当たり前じゃないく別の選択肢があったらと思うのです。
もう、これは完全に個人の主観ですが、オルタンスに選択肢が与えられたとします。その時、ヤン艦隊における最適解として、オルタンスは主体的にキャゼルヌ家を運営することに全力を注ぐという選択をしそうな気がするんですよね。
それによってまた一つ物語ができるような気がするし、そういう、想像の余地があるのが銀英伝の楽しさですよね。そして、そういう選択肢がある社会であることが大切なのではないかと思います。